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  • 「電子国家」エストニアから日本へ移住、そして起業。
    リスクを取って挑戦し続ける若き「ストリートスマート」が語る、エストニアの今。
  • 「電子国家」エストニアから日本へ移住、そして起業。
    リスクを取って挑戦し続ける若き「ストリートスマート」が語る、エストニアの今。

    2019/12/09  ビジネス野望

    今、日本で大注目を集める「電子国家」エストニア。現地で生まれ育ち、日本に魅せられ、移住・起業したポールさんのインタビューからエストニアの魅力・素顔に迫ります。コネクターとして活躍する弊社役員のつながりで実現した今回の貴重なインタビュー、「現地人だからこそわかるエストニアの魅力、エストニア社会が抱える問題」とは。

     

    ハッラステ・ポール氏

    エストニアで生まれ育ち、黒澤映画に魅せられ以前から興味を持っていた日本に留学、早稲田大学大学院国際コミュニケーション研究科卒業。学業のかたわら渋谷区のスタートアップでインターンとして働く。大学卒業後、IT企業の立ち上げやエストニアと日本の架け橋としての活動を行なっている。

     

    きっかけは黒澤明!日本に興味を持った意外なきっかけ

    ー日本に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

    ポール:エストニアのテレビで黒澤明やビートたけしの映画を見たのがきっかけですね。特に黒澤さんの羅生門と乱が好きでした。その後、アニメにもハマりました。

    ー日本に来たいと思ったのはいつ頃なんでしょう?

    ポール:高校生の時ですね。本当に行きたい気持ちが強かったのですが、交流プログラムの数が少なかった割に、エストニア人の間で日本ってとても人気で、行きたいとしても2、3年待たなければいけないことが分かりました。

    なので、それ以外の選択肢であった中国のシンセンに1年間行くことにしました。

    シンセンは今でこそ「ハードウェアのシリコンバレー」と呼ばれるほどITハードウェアの最先端技術が集まる都市として有名ですね。

    当時もすごかったですが、まだ知名度は高くありませんでした。

     

    ー当時のシンセンを見られたのは貴重な経験ですね。その後は日本にいらしたのですか?

    ポール:はい。エストニアの大学で分析哲学の学部を卒業して大学院でアジア研究の中の日本研究をしました。

    そして、日本渡航のためエストニアで募集される文科省の奨学金に応募しました。日本の研究をしたのもそれが目的で。渡航後、早稲田大学で社会言語学の研究をしながら渋谷のスタートアップにインターンとして働いていました。

    その会社は翻訳のSaaSプラットフォームを開発しているスタートアップで26才の時の話ですね。

     

    5つの国の文化が混ざり合う独特なエストニアの風景

    ー日本の研究をされていたんですね。エストニアの方が日本に興味を持ってくださることは嬉しいことです。また日本でも観光地として人気が出ているエストニアですが、街並みが綺麗ですよね。

    ポール:はい。特にタリンの旧市街は世界遺産として記録され、綺麗で有名ですね。

    エストニアは過去に5つの国に支配されていたので、それぞれの文化が混ざり合って独特の文化が生まれたのだと思います。

     

    ー確かに、色々な国の雰囲気が味わえる気がしますね。ポールさんの家にも実はサウナがあるとか。

    ポール:そうなんです(笑)。実は、エストニアにはサウナ好きが多いんです。

    同じくサウナ好きのフィンランドと国同士で仲が良くて、サウナ文化もおそらくそこから来ていると思います。

    実はマインドや顔、習慣もフィンランド寄りで、バルト三国よりも仲がいいかもしれません。

     

    政治家は30代が殆ど!?なぜ電子国家エストニアは誕生したのか、そしてエストニアが抱える社会問題とは

    ーエストニアは「電子国家」で知られていますが、政府が電子化をここまで進められるのは、かなり驚いています。何か要因はあるのでしょうか。

    ポール:そうですね。やはり若手の政治家が活躍していることが大きく影響していると思います。

    エストニアがソ連から独立した時の内閣は、30代の政治家が多かったです。

    当時の首相のMart Laarは32歳でした。その後もメインな意思決定者は若手が非常に多かったです。

    しかも、エストニアはデジタル戦略にフォーカスするため、政府のCTO(Chief Technology Officer)、CIO(Chief Information Officer)やCDO(Chief Data Officer)のポジションを作りました。

    2013年にCIOができて、2018年にCTOとCDOができました。CIOやCTOは二人とも30代で、CDOは28歳です。彼らが様々なプロセスの自動化や最適化を主導しています。

    CDOの今のメインのプロジェクトの一つとしては、裁判所の電子化で比較的にシンプルな事件であれば、その解決を完全に自動化できるように取り組んでいます。

     

    ー日本では考えられないですね(笑)しかも裁判を電子化、、。

    これも興味深いトピックです。日本では若者の政治参加も課題ですが、エストニアで若者が活躍できているのはどうしてなのでしょう。

    ポール:エストニアが独立した当時、国のために貢献したい人は若者が多かったのだと思います。

    最初から若い人が力を持っていて、将来のことを積極的に考えていたので年齢は特にこだわらず、最初の政府では政治家になった人たちは30代の方が多かったです。

     

    ー「独立」という国の節目が大きく関係しているんですね。

    そうすると、先進的で理想的な国というイメージがありますが、課題は何かあるんでしょうか?

    ポール:いっぱいありますね。特に日本と同じく貧富の差は大きいなと。
    でも、やっぱり経済的には日本の方が発展しています。

    エストニアの相対的貧困率は20パーセントを超えと割と高いです。

    一人当たりのGDPも西ヨーロッパにまだ追いついてないです。

     

    日本とエストニアの架け橋に ポールの「ストスマ」な生き方

    ー今は日本で活動されているポールさん。なぜなのでしょうか。

    ポール:エストニアと日本の架け橋になりたかったと前から思っていて、エストニアで日本語を学んでいるときも練習としてツアーガイドをしていたりもしました。

    当時は日本語を話せるツアーガイドが少なかったのですが、そこにチャンスがあると思って
    そこで出会った日本人の方々が優しくて日本がもっと好きになりました。

    そこで2018年の2月に会社を立ち上げて、エストニア政府公認でe-Residencyプロジェクトを日本でマーケティングする事業を行なっています。

     

    ー日本でもポールさんのように積極性と熱意に溢れた人が増えて欲しいです。ポールさん自身、これからの目標や夢などはあるんですか?

    ポール:ある程度エストニアを日本に持ってくることですね。
    例えば、日本ってすごく進んでいるんですけど
    場合によって、ハングリー精神が足りない
    特に行政に関わる場合はそうだと思います。

    そこを改善する対策の一つとし、エストニアの電子化の事例に対して認知度を上げることがありだと思います。

     

    ーハングリー精神を別の言い方にすると何でしょう?

    ポール:リスクを取ることですね。
    一般的にいうと日本人は周りを意識する、よくも悪くも。

    いいところもあれば悪いところもある。年上を尊敬しすぎているところもあったりするかもしれないですね。

    国の状況から自然にリスクテイクするようになっていましたが、これからの日本にもこのスタンスから学べることがあると思います。

    【文責:編集部】

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