“芸術”と聞くと、「なんだか難しいもの」「お金持ちの道楽」という印象が強いかもしれません。確かに小難しい芸術作品も多いのですが、芸術と呼ばれている作品にはさまざまな側面があります。今回は、あまり知られていない「国力としての芸術」についてご紹介します。
中世のヨーロッパでは、芸術は国力でした。これには、大きく2つの理由があります。1つは、「あの作品があるから、あのエリアには攻撃できない」という理由。もう1つは、「あの画家がいるから、あのエリアには攻撃できない」という理由です。芸術作品や芸術家がいることで、ある種の防衛機能が働くという側面がありました。
しかし一方で、素晴らしい芸術作品は奪い合いにもなりました。現在、美術館と呼ばれている場所で展示されている作品の多くは略奪品です。戦争によって奪われてきたものが王家などにより受け継がれ、それらのコレクションが美術館に並んでいる場合がほとんどです。スペインのプラド美術館や近現代に設立された美術館はその限りではありませんが、フランスのルーブルやイギリスのナショナルギャラリー、大英博物館などの美術館・博物館で展示されている作品のほとんどは略奪品と思って良いでしょう。そのため、古代の彫刻や壁画から中世の絵画など、展示品には嗜好がありません。
1936年から1939年まで、第二共和政期のスペインで発生した内戦がありました。スペイン内戦と呼ばれている内戦ですが、この期間には美術品を守るために極秘ミッションとして美術品の移動が行われていたと言われています。
スペイン国内の美術館には、多くの優れた芸術作品が所蔵されていました。マドリッドにある世界三大美術館と呼ばれるプラド美術館には、歴代王家のコレクションが3000点以上存在します。ゴヤの『マドリッド 1808年5月3日』『裸のマハ』『着衣のマハ』、ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』、ベラスケスの『ラスメニーナス』など、いずれも極めて評価の高い芸術作品です。どの美術館のどの作品が極秘裏に移動されたのかは定かではありませんが、内戦後の今もその姿を見ることができるのは、内戦当時、命をかけて芸術作品を守ってくれた人たちのおかげですね。
内戦時、命を危険にさらしてでも芸術作品を守った英雄たち。しかし、「命と作品、どちらが大切なんだ」という議論は尽きません。どちらかと言えば、命の方が大切だという人の方が多いのかもしれません。ですが内戦当時、極秘ミッションに参加した人は「人の命は100年足らずで終わるが、芸術作品は後世に遺り続ける」という考えでした。そして、現代でも同じ意見の人は存在します。どちらが正しいという議論は不要ですし不毛でしょう。二元論で語れるほど、単純な話ではありません。
絵画や彫刻は、もろいキャンバスや画材であり、もろい石やブロンズです。だれかが後世に遺そうと思わない限り、あるいは偶然的に保管されない限り、存在し続けることはほとんど不可能です。絵画や彫刻などの芸術作品をみるとき、その作者の心情を思案したり、作品に込められた意志を感じたりすることも楽しいのですが、その作品が今も目の前にあるという事実を感じながら鑑賞するのも良いかもしれませんね。
2012年より、大手人材会社のアウトソーシングプロジェクトに参加。プロジェクトが軌道に乗ったことから2014年に独立し、その後は主にフリーランスとして活動中。
2014年、一時インドネシア・バリ島へ移住し、その前後から仮想通貨投資、不動産投資、事業投資を始める。現在は、複数の会社の顧問・経営戦略チームの一員を務めるほか、バリ島ではアパート開発と運営を行っている。
マイナビニュースでは、仮想通貨に関する記事を連載中。
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