手取り月収〝まさか〟の1655円を〝驚愕〟の1850万円にした、「保険営業の虎」大坪勇二。
保険営業のノウハウ、マインドを知り尽くし、現在は会社経営者としても活躍中の大坪が今、着目するのは、日本経済の根幹ともいえる中小零細企業の「未来の命運」を握るあのビジネス……「M&A」だ!
どうも!大坪です。
突然ですが、あなたは仕事に疲れてませんか?
私の言っているのは、肉体的な疲れではなく、経営者の〝経営疲れ〟、とでもいうもの。
「今の仕事にときめきかない」
有り体に言えば……
「飽きてしまった」
そういう状態のことだ。
社員やお客さんの手前、あけすけに言うわけにはいかないけど、そういうときは、確かにあるだろう。
昔あれほどワクワク?していた仕事なのに、今はどうにも気持ちが動かない。
本当はやりたいからやっているわけではないけど、予定は詰まっているし、お客さんも従業員もいるから同じ仕事を続けているに過ぎない。
「しかし、そんなこと思ったって、どうしようもないじゃん」
と暗澹たる気持ちでいるあなた……。
実は、そんなあなたにとって素晴らしい方法があるのだ。
それが、
「スモールM&A(エムアンドエー)」という方法だ。
M&Aとはいうまでもなく、会社を売り買いするということ。
M&Aというと……。
「敵対的企業買収!」
「ハゲタカ!」
「外資系投資会社の暗躍!」
なんてイメージがあるかもしれない。
すごい大企業の、しかもすごいエリートたちの自分たちとはカンケーない世界かのように思えるかもしれないけど、実はそんなことはない。
自営業レベル、具体的にいうと、私のような「保険屋さん」規模のビジネスでも売れるのだ!
これ、実体験した私がいうのだから間違いない。
まあ、私自身のM&A体験の詳細はおいおい話すとして、私が「保険屋さんのM&A」と出会ったときのことについてお話ししよう。
それは今から10年以上前、アメリカ視察旅行でのことだった。
当時、保険をバリバリ売っていた私は、MDRT(生命保険のプロによる世界組織)のアメリカでの総会に立ち寄った帰路に、知人のアメリカ人FPを訪ねた。
金融大国アメリカの同業者のビジネスはダイナミックで、今から思うとここでの体験が私を「脱・保険屋」させたと言えなくもない。
本当に色々刺激的な話を聞いたのだけど、その中でも最も印象に残っているのが、「アメリカの保険パーソンは〝ビジネスを売り買いして成長する〟」という話だった。
「ビジネスの売り買い」?
こういうことだ。
自分のビジネスを大きくしたいと思ったアメリカ人保険パーソンがいたとする。
彼は、自分が抱えている顧客のうち、1件あたり売上が平均より低い顧客を、まだキャリアが浅くて顧客が少ない後輩に譲渡する(もちろん、お金のやりとりもついてくる)。
顧客が減って時間的な余裕が出た分、努力してよりお金持ちの顧客を獲得して、全体の売り上げをアップさせることができる。
一方、後輩の方も、とりあえず顧客を得ることで手数料が入ってくるし、そのお客さんにいいサービスを提供することで、追加契約などで現状より収入を多くするチャンスが得られる。
なので、本人も、後輩も、そしてより良いサービスを受けられるお客さんも3者ともがハッピーになる、という話だった。
で、これがかなり頻繁にある話だ、というのだ。
「でも、譲渡されるお客さんの方から文句が出て、解約とかにならないのだろうか?」
そういう質問をしたら……。
「サービスレベルが今より上がるので、クレームを言われることは〝ほとんど〟ない」ということだった。
気にする人もゼロではないけど、ほとんどの人はOKのようだ。
(ちなみに、案件の相場は、その顧客から入る2年分の手数料だそうだ)
「なるほど! これはよくできた仕組みだ!」
とやたら感心したのを覚えている。
……でもその一方、「顧客を売り買いする」という発想に違和感があったのも正直なところだ。
保険屋さんに限らず、良くも悪くも日本の商習慣は情緒的。
私も保険営業の際には、クロージングのキメ台詞は、「私が一生あなたを守ります!」だった。
「一生」なんて啖呵を切るようなスタイルの日本では難しいやり方かなあ……。
やっぱり合理主義の国・アメリカでは通用しても、日本では無理かあ……。
そう思いかけたときに、知人の損害保険代理店が合併した、という話を思い出した。
当然お金も動いたと聞いた。
……待てよ!?
これって、形を変えているからわかりにくいけど、本質的にはお客さんを売り買いしているということなのではないか?
代理店の合併、代理店の売買なんていうのはしばしば聞くこと。つまり、あまり表立ってはいないけど、実は日本の保険業界でも昔からよくあることではないのか!
と気づいた。
で、自分自身がそれを体験するまで
それから10年ほどが必要だった。
その詳細は、あらためてお話ししよう。
1964年 長崎県生まれ
九州大学卒
コンテンツプロデューサー
「稼ぐプロを作るプロ」
大企業新日鉄の経理マンに飽き、ソニー生命の歩合営業マンに転身するも2年間ダメで貯金が底をつき、身重の妻と月11万円の住宅ローンを抱えて、手取り月収が1,655円とドン底の時にやる気スイッチオン。
6ヶ月間の「大量行動」で富裕層とのパイプが開け法人超大型契約で手取り月収が1,850万円に。現役11年間で累計323億円の金融商品を一人で販売。
その後、「社会の問題を、仕事のプロを育てることで解決する」をモットーに出版社を設立。現在に至る。障がい者福祉事業、複数の社団法人オーナーでもある。
著書に『手取り1655円が1850万円になった営業マンが明かす月収1万倍仕事術』(ダイヤモンド社)『月収1850万円を稼いだ勉強法 ~伝説の営業マンはどう学び何を実践したのか~』(祥伝社)などがある。