こんにちは、大坪勇二です。
前回に引き続き、若くして多くのスキルと成功を手にする中島宏明氏へのインタビューです。今回は中島氏が移住したバリ島での生活ぶりと、帰国後に始めた事業投資、バリ島の不動産投資についてのお話です。今回のキーワードは「人」。やはりビジネスの明暗を左右するのは、人の問題なんですねー。あ、あと、中島氏が仮想通貨と出会うきっかけについても聞いてみました。
中島宏明
2012年より大手人材会社のアウトソーシングプロジェクトに参加。プロジェクトが軌道に乗ったことから2014年に独立し、その後は主にフリーランスとして活動中。
2014年、一時インドネシア・バリ島へ移住し、その前後から仮想通貨投資、不動産投資、事業投資を始める。現在は、複数の会社の顧問・経営戦略チームの一員を務めるほか、バリ島ではアパート開発と運営を行っている。
マイナビニュースでは、仮想通貨に関する記事を連載中。
https://news.mynavi.jp/series/cryptocurrency
大坪:アウトソーシングのプロジェクトを見事に成功させた中島さん(前回参照)。そして奥さんの要望に応えてバリ島へ移住するわけですよね?
中島:はい。妻は10代の頃から旅行でバリ島を何度も訪れていて、もう、バリ島へのこだわり、強い思い入れがずっとあったんです。で、本格的にインドネシア語も勉強したということで、「だったら、もう住んじゃおうよ」と。
大坪:(笑)向こうの生活はどんなものでした?
中島:まあ、昼近くに起きて、コーヒーとか飲みながら「今日、何しよっかな~」なんて考えて……。特にやることないので、ダラダラして。スーパーに買い物に行ったり、ときにはビーチに行ったり。ライティングの仕事は孫請けみたいなかたちで続けていたんですが、それはだいたい1日に3時間くらいすればよかったんで。あとは夜市に行ったり……。
大坪:世界に冠たるリゾート地ですしね。最高の暮らしですね。
中島:最初は「あー、これが〝リタイヤ生活〟なんだ」って思いましたけど……まあ、1カ月半ぐらいで飽きました(笑)
大坪:飽きるもんですか?
中島:飽きますね(キッパリ)。サーフィンだとかゴルフだとかの趣味があればよかったんでしょうけど、どっちもやらないんで。水泳部だったんで泳ぐのは好きなんですけど、海水はあんまり好きじゃない (笑)
大坪:映画をつくったり、大学で講義をしたり、会社の事業責任者になったり……それまでの中島さんの日常は結構刺激的なものでしたよね。
中島:うん、そんな刺激的な日常が意図せず連続した……それが(バリ島に行って)プツっと途切れたっていう感覚はたしかに少しありました。もちろん「バリに住む」ということ自体が貴重で、刺激的といえば刺激的なんでしょうけど……。ただし、またあの〝血尿時代〟に戻りたいということは考えてなかったですね(笑)。
大坪:〝プレッシャーがない生活〟って、1カ月ぐらいで飽きるものなんでしょうね。
大坪:それから中島さんはお子さんができて日本に帰っていらっしゃった、と。あ、たしか、バリ移住をきっかけに「仮想通貨」と出会ったんですよね? 現在の中島さんの専門のひとつの。
中島:はい。バリに住むことが決まったときに、3年分の家賃を前払いすることになったんです。今考えたらおかしな話なんですけど「そういうもんかな」と思って(笑)。で、支払い時に海外送金するじゃないですか? そのための金融機関での手続きがすごく面倒だったんですね。手数料もすごく取られるし、書類もあれこれ用意させられるし、受取人との関係がどーだこーだとか聞かれるし……。
大坪:金融機関側としても「面倒くさい案件が来たよ」みたいな、ね。
中島:「自分のお金を動かすだけなのになんでこんなに面倒なの?」って思いました。なんだか悪いコトとしているみたいな感じですよ。バリ島に限らず、これからは「海外へ行く」ということへのハードルが下がっていくだろうというのが、当時20代の自分でもなんとなくイメージとしてあった。でもそのときに毎回この手書きの紙ベースの手続きをやるというのが、すごいバカらしいなと思ったんです。
大坪:ワンクリックでどこでも連絡を取れる時代にね。
中島:それに比べてビットコインなんかは、本当にワンクリックですぐに海外送金ができちゃう。手数料もそんなにかからないですし。
大坪:「こりゃあ便利だ!」って?
中島:単純に「早くて安い! こんな便利なものはないな!」と思ったんですよね。投機だとか、「これで儲けよう」という発想はなかった。
大坪:「仮想通貨投資で儲ける」ではなく、「仮想通貨を利用する」、ユーザーになるということですね。それっていつぐらいの話ですか?
中島:2014年です。
大坪:かなり早い時期に仮想通貨を「使っていた」ということですね。
中島:そうですね。
大坪:で、日本に帰っていらっしゃって、何をされたんでしたっけ?
中島:フランチャイズの事業ですね。
大坪:それはまたどういう経緯で?
中島:バリで暇だったんで、ネットサーフィンをしていたんです。海でサーフィンはやらないけど、家でネットサーフィンはしてた (笑)
大坪:相当暇だったのね(笑)
中島:それでたまたま、不動産投資で大成功されて事業投資をやっている方のブログを見たんです。それでその方が「フランチャイズ投資研究会を立ち上げます」とブログに書いていて。ちょっと興味があったので連絡をしたらすぐ返事が来て。ちょうど帰国した翌週ぐらいに発足だったので、会ってみて、すぐに入会しっちゃった。ライティングの仕事も1日に3時間くらいであとは暇だったので、やってみようかな、と。
大坪:でも、自身がフランチャイズのオーナーになった経験もないのに、ハードルが高くなかったですか? ましてや20代後半で。
中島:あんまり思わなかった(笑)。わりと楽天家なんで。
大坪:で、どんな事業への投資を?
中島:訪問リハビリテーション。ほぼストック型の事業なので、あんまり利用者さんがころころ入れ替わるということはそこまではないですね。ただ、利用者の方が入院されたりとか、お亡くなりになったりとかは多少あるんですけど、ほぼストック型といえます。最初、1人の施術家の先生を雇って、利用者の方が30人ぐらい。黒字にならなくはないかな、くらいの規模でしたね。ただ、個人宅では、お金がそのまま置いてあったり、財布が置いてあったりとか……。
大坪:ありますよね、高齢者の方は。
中島:こういうのってまずいな気づいたんです。地域密着型のビジネスなので、変な噂が広まると大変。で、実際にそういった噂も出て、施術家の方が行方不明になったり(笑)……。それでも続けようというまでモチベーションが上がらなくて、「ならやめよう」と思って退いたんです。
大坪:でも、ご自身でお金を出してオーナーをやるというのは、なかなか得がたい経験ですね。敢えて言うとどんなような学びがあったんですか?
中島:そうですね、結局「人の問題」っていうのは、どんな事業でもあるなっていうのは思い知りましたね。かつてのアウトソーシングプロジェクトのときも、人が辞めていったりしたことが最大のダメージだったわけですし。
大坪:そういうことって、なかなかビジネス書には出ていないし、ビジネススクールでも教えていないしね。
中島:「人はときに行方不明になるものだ」とは教えてくれない(笑) 最近は「人」で悩んでいない会社はないんですけどね。
大坪:バリの不動産投資を始めたのも、その頃?
中島:併行して進めていました。バリは会社をつくるだけでも半年ぐらいかかるので。
大坪:それは誰かパートナーと一緒に?
中島:そうです。日本側は税理士さんと組んで……。現地は地主さんとか建築会社がいるので、そことのやり取りをしていたという感じですね。
大坪:現地でのコネクションというのは、かつて生活していたときのコネクション?
中島:そうですね。
大坪:なるほど。海外で建設工事が予定通り進むって本当難しいんですけど、それがスムーズに進んだ要因って何ですか?
中島:たぶん要因は2つぐらいあって……。ひとつは「人柄」ですね。現地スタッフの方……ガイドであり地主さんであるパートナーの人柄がすごく良かったということ。
大坪:なるほど。
中島:インドネシアに限らず、海外ビジネスでは、「お金の支払いとかの催促はするけど、自分がデメリットになることはなかなか連絡が取れなくなる」なんてことが多々あります。でも、そういうことがまったくなかった。どちらかというとこちら側が待たせていることのほうが多かった。見積もりと図面をいただいてから着工するまでに1年半くらいかかった。会社をつくったり、契約書を翻訳してリーガルチェックしたり、その間バリ島の弁護士事務所に相談して会社潰されかけたりとか……いろいろあったので1年半くらい待たせちゃった。でもその間1回も相手からの催促はなくて。てっきり僕は、もうこの話は中止なんだと思っていたんです。でも後で「よく1回も催促しなかったね」って聞いたら、先方は「いや、神に任せようと思ってたから」って。相手はバリヒンズー教徒ですごく真面目な方だったんです。そんな真面目な人間に出会えたということは、すごく大きい成功要因ですね。
大坪:もうひとつの成功要因は?
中島:やはり「緊張感」もあったということですかね。その現地のパートナーからは、毎週のように建設現場の動画や写真を送ってもらっていたんです。
大坪:なるほど。
中島:僕からは「月2回ぐらい行ってもらえればいいよ」という話しかしていなかったんですけど、本業のガイドの仕事のない日はほぼ毎日現場に行ってたんですね。20年くらい使っていない自分の土地に建物が建っていくのが楽しかったみたいで。「いや、もうそんなに行かなくてもいいから」って言うぐらい行ってた。で、毎回のように動画と写真を撮って。現地のスタッフたちもそれを日本に送るっていうことは分かっていたので、緊張感はあったかなと。とはいえ、ギスギスした管理じゃなくて、「フレンドリーな」緊張感が高かった。
大坪:ということは、ビジネスの鉄則として「良いパートナーを選ぶ」ということが非常に重要なんですね。そのキャラクターは非常に重要だ」ということなんですね。
中島:そうです。物事をスムーズに進めるには「どんな人と組むか」がとても大事。人選は大事ですね。
大坪:でも東南アジアって、にしてもスムーズに進むって、日本人のビジネス感覚とだいぶ違いませんか?
中島:南国なので、「南国時間」というのんびりした感じはします。「半年と言ったら1年、1年半かかる」なんていう声は、向こうで不動産投資をやった人からよく聞こえてきます。「3年経ったけどまだできてない」とかっていう話もよく聞くので。「1カ月ちょっと早まった」って言うと、経験者の方ほど驚かれますね。
大坪:それはやっぱり最大の要因はパートナーだと。
中島:そうですね、人だと思います。
大坪:パートナーが良いと、向こうが選ぶスタッフも良い?
中島:そうですね、はい。
1964年 長崎県生まれ
九州大学卒
コンテンツプロデューサー
「稼ぐプロを作るプロ」
大企業新日鉄の経理マンに飽き、ソニー生命の歩合営業マンに転身するも2年間ダメで貯金が底をつき、身重の妻と月11万円の住宅ローンを抱えて、手取り月収が1,655円とドン底の時にやる気スイッチオン。
6ヶ月間の「大量行動」で富裕層とのパイプが開け法人超大型契約で手取り月収が1,850万円に。現役11年間で累計323億円の金融商品を一人で販売。
その後、「社会の問題を、仕事のプロを育てることで解決する」をモットーに出版社を設立。現在に至る。障がい者福祉事業、複数の社団法人オーナーでもある。
著書に『手取り1655円が1850万円になった営業マンが明かす月収1万倍仕事術』(ダイヤモンド社)『月収1850万円を稼いだ勉強法 ~伝説の営業マンはどう学び何を実践したのか~』(祥伝社)などがある。