「健康診断の数値が気になるけど何から始めたらいいのかわからない」「心身を整えてこれからもずっとバリバリ働くにはどうしたらいいのか」とお悩みの50代社長へ。今回は、40代に陥った心身の不調を乗り越え、フルマラソンを完走できる健康的な心身を手に入れた50代社長・清野秀之氏のインタビュー前編をお届けします。
清野秀之さんプロフィール
株式会社リ・アライズ代表
OA機器販売会社、情報誌出版会社、Webシステム開発会社を経てセールス・マーケティングコンサルタントとして独立。Webマーケティングプロデュースの他、ECサイトプロデュース、広告代理業、ビジネスコーチング、人材育成研修、不動産売買・賃貸仲介業、不動産販売業など幅広い事業を手掛けている。
URL:https://fudousantoushi-navi.net/
―体調を崩したことがあるそうですが、それはいつですか?
清野さん:45歳くらいのときです。システム会社の管理職をしていて勤務時間が長かったことや、仕事のストレスも不調の原因だったと思います。運動もしておらず、生活は不規則。当時は煙草を吸っていましたし、脂っこいものもよく食べていました。夕食の時間も22時や23時ごろと遅かったですね。そういう暮らしをしていたせいか、眠れなかったり眠りが浅かったりして疲れが取れませんでした。よく風邪を引いていたので、免疫力も低下していたんでしょうね。不眠で気持ちが上がらず、心療内科で「鬱状態」と診断されました。
―仕事のストレスというのは?
清野さん:そのころはちょうど会社の業績が落ち込んでいました。管理職なので、どうしても風当たりが強くなる。結局その会社は潰れましたが、会社が潰れる前って人の気持ちがすさんでしまうものですね。やれ「あいつが悪い」「こいつが悪い」という話になるわけです。責任のなすり合いですね。そうなってしまうと何をやっても上手くいかない。大変でした。
―そこからどう立ち直ったのでしょうか?
清野さん:心療内科に通ってはいたものの、当時は「何とかしなきゃ」という気すらおきませんでした。しばらくして会社が潰れたので独立して、東京に引っ越してきてしばらく経って、それでやっと「どうにかしないとな」と思いました。でもその頃の私は1km歩くのも嫌でした。
そうはいっても何かしなければならない。「運動嫌いでも何かできることはないのかな」と考えていたところ「ピラティスがいいらしい」という話を耳にしました。調べて知ったことですが、ピラティスとヨガは似ているといわれているものの、そもそもの目的が違います。ヨガはリラクゼーションが目的ですが、ピラティスの場合はリハビリです。ピラティスは第一次世界大戦における負傷兵へのリハビリが起源だとそのとき知りました。
さらにいろいろとネットで調べてみて、サイトの情報が充実しているスタジオに体験レッスンを受けに行きました。1時間受けてみて、何となく「これは良さそうだ」と感じました。2010年12月のことです。そのまま入会し、今もスタジオに通っていますし、自宅でDVDを見ながら週2回くらいやっています。
―ピラティスを始めてみて、心身にどう変化があったのでしょうか?
清野さん:ピラティスを考案したジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティスの言葉に「10回で気分が良くなり、20回で見た目が変わり、30回で全く別の身体に生まれ変わる」というのがあります。実際、私にも変化がありました。3ヶ月くらいピラティスをやってみて、肩凝り・腰痛が改善され、気持ちも上向いてきたのです。眠りも深くなりましたね。
おそらく姿勢の問題でしょうね。ピラティスで骨格を正しい状態に戻していくことによって周りの筋肉を鍛え、姿勢を整えていく。正しい姿勢を維持できるようになれば自律神経も正しい状態になるみたいで、それで諸々の不調が改善されていった気がします。身体の柔軟性も向上しました。それまでは腕が肩くらいまでしか上がらなかったのが、スッと上がるようになった。身体の動きも軽快になった気がします。身体が軽快になると「他の運動もちょっとやってみようかな」という気になるものですね。
―ピラティスを始めてよかったですね。
清野さん:大袈裟に言ってしまえば、ピラティスで人生が変わった。その後マラソンも始めるのですが、走ることができるのもピラティスのおかげです。姿勢が正しくないと、走っていてもフォームがブレてしまい、それによって腰痛が生じることもありますから。
メンタルにも変化がありました。ピラティスを始める前は、気分が落ちこんだらずっと落ち込みっぱなし。一年中暗い気分で過ごしていました。ピラティスをすると少し気分が上がりますし、さほど落ち込むことがなくなりました。仕事の効率も良くなった。仕事のアウトプットも少し変わった気がしますね。いくら仕事ができても、身体がダメだと全部ダメ。身体が元気になるのが一番です。仕事のアウトプットまで変わるというのは、私の場合たまたまなのかもしれません。でも、そういう人は結構多いですよ。ピラティスを始めて少し経って、心療内科通いをやめました。
―ちなみに現在はマラソン大会に出ていらっしゃいますけど、始めたきっかけは?
清野さん:実は、以前は体重が今より10kg以上ありました。ピラティスは消費カロリーがしれている。痩せやすい身体にはなっても、それだけで痩せはしないものです。そこでウォーキングを始めました。家の周りを歩いて、少しずつ距離を伸ばしていって。少し歩いたくらいでは痩せませんが、気分が良くなるので続けていました。そうしたら、ある日友人が「世田谷246ハーフマラソンに出たいけれど、ひとりで走るのもつまらないから」と私を誘ってきたんです。「無理だと思うけれど出てみようかな」と思いました。47、48歳くらいのときですね。結局その大会は抽選で外れてしまったのですが、先着順でエントリーできる多摩川ハーフマラソン(現TAMAハーフマラソン)を目指すことにしました。
その前に糖質制限ダイエットも始めて、1年で8kgくらい落としました。糖質を制限するのは結構大変ですよ。イライラするし、力も出ない。ストレスがたまらないように、飲み会のときだけは何を食べてもいいと決めました。糖質制限に関してはやり方が良くわからなかったので、当時お世話になったピラティスインストラクターさんに教えてもらいました。そういう専門家の知識がないと危ないですよね。やはり勉強してから始めないと。
多摩川のハーフマラソンは、誘ってくれた友人もはじめての大会。お互い走れると思っていなくて。でも走ってみたらタイムは2時間を切りました。「意外と速く走れるんだ」と思いましたね。
―それはすごいですね! その後すぐにフルマラソンに挑戦なさったのですか?
清野さん:ハーフマラソンで走ることができたので、すぐにフルマラソンの大会に出ることにしました。その前にもハーフの大会に2、3回出てみたり、筋トレを始めてみたりして。スポーツジムの入会時に目的を聞かれたので「身体を絞りたい」「マラソンを速く走りたい」と話して、メニューを組んでもらって。そのメニューでトレーニングしたり、定期的にフォームを見てもらったりしています。
そう考えると、自分のモチベーションを上げてくれる人の存在は必要ですよね。マラソンもそう。誰かと一緒に「この大会を完走するんだ」とゴールを目指すようにしないと。そうじゃないと孤独だし、続かないんじゃないかと思います。