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  • 「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!?
    その6
  • 「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!?
    その6

    2019/09/24  夫婦家族

    こんにちは! 弁護士の小原です。

    これまで5回にわたってお話ししてきた「熟年離婚の危機を回避する秘策」。今回が最終回となります。

    「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!? その1
    「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!? その2
    「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!? その3
    「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!? その4
    「熟年離婚の危機」を回避する秘策とは!? その5

     

     

    離婚最終段階…それでも回避するには?

    離婚の危機の最終段階である「ステージ4」。

    何らかのきっかけで、奥さんが離婚への〝踏ん切り〟をつけてしまった状態です。

    そしてその後は「協議」あるいは「調停」「裁判」と、離婚へまっしぐらという段階です。

    このステージ4の段階に来てしまうと、離婚の危機を回避するということは、ほぼ不可能。

    それでも、まったく方法がないわけではありません。

    その方法は、ステージ3と同じです。

    奥さんのあなたに対する憎しみ、ネガティブな感情をそのまま受け止め、その感情にただひたすら寄り添う、ということです。

    ステージ4に至ってしまっては、コミュニケーションを取ること自体ほぼ無理です。

    まずは「コミュニケーションを取ること」をあきらめてください。

    しかし、それでも、あなたは、奥さんのあなたに対する憎しみ、ネガティブな感情をそのまま受け止め、その感情にただひたすら寄り添ってください。

    ただし、だからといって離婚の危機を回避できる保証はありません。

    しかし、他に方法はありません。

    甘い期待は抱かず、淡々と寄り添い続けるしかないのです。

    この段階になると、いくら寄り添い続けても、離婚の危機を回避できないケースの方が圧倒的に多いものです。

    それでも、寄り添い続けた結果、なんとか離婚の危機を回避できたというレアケースもあります。

    これからお話しするのは、ほかならぬ〝私自身〟のエピソードです。

     

    心おだやかな、幸せな生活のはずが

     

    私の妻は私より16歳下。今から20年近く前、私が東京で弁護士業をしていたころ、出会いました。

    年齢差はありましたが、90年代のロックや映画など共通の趣味があり、ウマが合いました。

    お互いを尊敬することができ、お互いの価値観を認め合って結婚しました。

    妻はその当時から鬱病を患っていましたが、私との生活はとても幸せだと言ってくれました。

    毎日が楽しく幸せなので、鬱病は回復したと言っていました。

    しかし妻は、東京での出産、育児に不安を覚えていました。

    自分の故郷である岩手県に戻り、自然の豊かなのびのびとした環境のもとで、心おだやかに子供を産み、育みたい、と常々口にしていました。

    私は、妻の希望を受け入れ、東京から岩手に移ることを決意しました。

    ただ、妻の出身地には、私は全く地縁も血縁もなく、私の母方の祖父の地元である岩手県一関市を終の住処と定め、十数年前に東京から一関市に法律事務所を移転し、現在に至ります。

    一関市に移ってからも、妻は、東京で過ごしたときと同じように、私との生活はとても幸せと言ってくれました。

    生活環境が大きく変わっても、妻の鬱病が再発することはありませんでした。

    しかし、子供を授かったことで、幸せだった毎日が少しずつ変化していきました。

     

    増大する育児ストレス

     

    妻の鬱病は鎮静化していましたが、睡眠障害に悩まされていました。

    そのため、毎日、睡眠導入剤、睡眠薬と鬱病の再発を抑える薬を数種類服用していました。

    後で知ったことですが、その中には妊娠(着床)を阻害する薬も含まれていました。

    妻と私は子供を切望していましたが、この薬の影響か、なかなか子宝に恵まれませんでした。

    妻は不安と戦いながらも、頑張って頑張って、この薬を断つことができました。

    そしてようやく、長年待ち望んだ子供を授かることができました。

    妊娠中のストレスから鬱病が再発するかもしれないという恐怖、そして睡眠障害と戦いながら、妻は元気な女の子を産んでくれました。

    しかし、なんとも皮肉なことですが、長年待ち望んだ愛娘を授かったことで、妻の精神は徐々に蝕まれていきました。

    妊娠中は医師の指導で服薬を制限していましたが、出産後は元に戻ったので、娘にはなんとか初乳はあげることができましたが、以降はずっと粉ミルクでした(母乳に薬の成分が混ざってしまうため)。

    24時間体制でシフトを組み、交代で3時間ごとにミルクをあげていました。

    妻も私も、共に実家が遠いため、2人だけの「ツーオペ」の育児でした。

    私は頑張って妻を支え、2人で協力して娘を見守ってきたつもりでした。

    ところが、妻は、私が仕事で帰りが遅いときなどに、自分だけが娘を押し付けられ、育児の負担を強いられていると思い込んでいました。

    後に妻自身は「育児ストレスから被害妄想のような考えになってしまった」と語っています。

    そのため、妊娠中にせっかく禁煙できていたのに、いつしかまたタバコを吸うようになってしまいました。

    その後も妻の育児ストレスは蓄積していき、娘が成長していくに従って、妻のストレスも増大していきました。

    特に、娘が2歳になり、いろいろな言葉を話すようになってきたころ、娘は「ママ、ちらい(嫌い)だもーん」という言葉を事あるごとに妻にぶつけるようになりました。

    2歳児の邪気のない言葉なのですが、育児ストレスでナーバスになり、鬱病の再発を恐れていた妻にとっては、この娘の言葉は、悪意に満ちた呪文のように妻の心に響いたのだそうです。

    もちろん、妻も娘を愛し、母として愛情を注ぎましたが、妻は、娘から事あるごとに悪意をぶつけられていると思い込み、また、そんな娘を私が甘やかし、自分を助けてくれないと思い込み、次第に精神を病んでいきました。

    本当は、私が、一人で苦しんでいる妻をフォローし、寄り添って支えてあげなければならなかったのですが、私は仕事と家事・育児の両立でいっぱいいっぱいになっていました。

    家事・育児を積極的に分担し、イクメン気取りで頑張ってきたつもりでいましたが、お恥ずかしいことに、向き合っていたのは娘の方だけで、妻の気持ち、苦しみに寄り添ってあげることは全くできていなかったのです。

     

    「水と油」の親子

     

    娘が3歳になり、幼稚園に入園したことで、妻と私の育児の負担はそれなりに軽くなりました。

    妻もいくぶん健康を取り戻したかのように見えました。

    しかし、娘は成長していくにつれ、気性の激しさが前面に出るようになりました。

    「嫌なものは絶対に嫌!」と言い張り、自分自身が納得するまでは絶対に引きさがりません。

    一方妻は、善かれと思って、自分が正しいと思うところを相手にも強く求める人、悪く言えば〝自分の正しさを相手に押し付ける〟傾向のある人です。

    娘と妻は、まさに水と油。例えば、食事ひとつ取っても、妻は栄養のバランスを考え、肉と野菜、魚と野菜といったメニューを用意しますが、娘はそのときの気分で「今は野菜は食べたくない」「魚だけは絶対にイヤ」などと言って拒絶します。

    そして、「食べなさい」「イヤ」という押し問答になり、ついにはどちらかがキレて大ゲンカになります。

    そしてそのダメージは全て妻に蓄積されていきます。

    いくら私が取りなしても、妻から見れば私は常に娘の味方をし、自分を助けてくれない、頼りにならない人間と映ったのだそうです。

    そして、娘は妻と大ゲンカするたびに、私に対する依存を強めていくようになります。

    それに反比例して私に対する妻の不満は増大していきました。

    よくある「嫁としゅうとめの対立」が我が家では「嫁と娘の対立」になっていたのです。

     

    別人となった妻 離婚の宣告

     

    そして、娘が小学生になったころ、妻の不満はついに爆発しました。

    ある日の深夜、妻はリビングで食器や家財を投げて壊したり、ガラスを割るなどして暴れた挙句、一人で家を飛び出して行きました。

    幸い娘も私もケガをすることはありませんでした。

    私は何度も妻の携帯に電話しましたが、妻は出ませんでした。

    数時間後、ようやく電話に出た妻は、「死のうと思ったがやめた。これから精神病院に入院する」とだけ言い、電話を切りました。

    私は翌朝慌てて病院に行き、妻に面会しようとしましたが、妻から面会を拒絶されました。

    その翌日も同じでした。

    そして翌々日の朝、病院から「着替えなど入院生活に必要な物を持って来てください」との病院から電話がありました。

    私はようやく3日ぶりに妻と会うことができました

    病院にいた妻は、私が知る妻とはまったくの別人になっていました。

    恐ろしいほどの無表情で「あんたとは離婚する。詳しいことはこれに書いておいたから読め」と、びっしりと手書きされた5枚のレポート用紙を手渡されました。

    そこには、妻が私と出会い、結婚してから今日に至るまでの13年間の出来事が恐ろしいほど〝歪められて〟書かれていました。

    この13年間のすべてが苦痛であり、私の妻に対する言動のすべてが自分勝手なモラハラであり、私に対しては憎しみの感情しかない、という当時の私にとっては死刑宣告に等しい内容でした。

    精神を病んでいった妻は、それでも懸命に家事をこなしていましたが、食材を大量に買い込んでは腐らせ、捨ててしまったり、使っていない電気やエアコンをつけっぱなしにしたり、水道から水を出しっぱなしにしたり、ということが頻繁にありました。

    私はそれを普通に注意したつもりでいましたが、思えば、何度注意しても同じことが繰り返されるので、つい強めに注意してしまったことがあったかもしれません。

    それが妻からすれば、一方的なモラハラに感じられたのでしょう。

     

    娘には妻が必要なのだから

     

    それでも私は、妻に離婚を思いとどまってほしいと願いました。

    妻の苦しみに気づかず、傷つけてしまったことを謝りたいと思いました。

    水と油のような娘と妻。それでも娘は妻を深く愛し、妻が必要だったからです。

    お互いが相手を傷つけ合うのに、相手がいなければ生きていけない……そんな共依存の関係の2人でした。

    私が妻から面会を拒絶されて呆然と帰ってきたあの日、「ママが元気になってお家に帰ってくるまで、2人で頑張ろうね!」と健気に言ってくれた娘でしたが、その翌日の晩には、「ママに会いたいよー」と泣き続けました。

    そんな娘のために、私はなんとかして妻との関係を修復し、離婚を回避したいと思いました。

    妻から手渡された恨みのこもった長い手紙に、同じくらいに長い返事を書きました。

    妻があげつらってきた私のモラハラとされる言動について、ひとつひとつ謝罪をしました。

    身に覚えのないことであっても、そのような言動を私からされたとしたら妻がどう思っただろうかと考え、遅まきながら、妻の苦しみに寄り添ったつもりになって、ひとつひとつ謝罪の言葉を書いていきました。

    そして、娘と一緒に会いに行きたいと伝えました。

    数日後、病院のスタッフを通じて妻から電話があり、面会してくれることになりました。

    病院のロビーで娘は妻を見つけ、走り寄って妻に抱きつきました。

    いっときは妻も娘を抱き締め、愛情を示してくれました。

    しかし、しばらくして妻は無表情で、娘にこう言い放ちました。

    「私はこの人と離婚する。お前は私についてくるのか、この人についていくのか、自分で決めろ」

    かつての優しかった妻は、完全に別人になっていました。

    この日、担当医に聞いたところ、妻の病状は、重度の鬱病に加え、乖離性障害という新たな精神病も発症していました(その後、精神障害2級と認定されました)。

    愛する母から残酷な言葉を突然突きつけられ、娘は泣き叫びました。

    「イヤだ!3人しかいない大好きな家族がバラバラになるのは絶対にイヤ!わたしはママとパパと家族3人でいつまでもずっと一緒がいい!」

    私は娘の悲痛な叫びを聞いて、「絶対に離婚はしない。自分が妻に謝って、改められることは全部改めよう。娘の幸せを最優先させ、必ず妻との関係を修復しよう」と、この時あらためて心に決めました。

     

    寄り添い続けるしかない

     

    それから今日まで、2年以上の月日がたちました。

    退院して帰宅した妻は、その後も度々フラッシュバックを起こし、私や娘にネガティブな感情をぶつけ、暴言を吐くことがあります。

    それでも私は妻に逆らわず、妻のネガティヴな感情をそのまま受け止め、寄り添い続けてきました。

    娘の幸福のため、という最優先の目的があるので、その目的を達成するために、私は何があっても、少なくとも娘が成人するまでは、妻に寄り添い続けようと決めました。

    そして、日々その決意を実践しています。日々淡々と実践しています。

    私たち夫婦が離婚の危機を回避できたのかどうか、それは未だわかりません。

    ただ、その後妻から「離婚」という言葉は出てきません。妻に寄り添い続けてきたことで、私たち夫婦はいまだに夫婦の体をなんとか保つことができています。

    これからも私が、何が起きても妻を信じ、妻に寄り添い続けていけば、いつの日か、危機を完全に脱することができるかもしれません。

    私たち夫婦のこのエピソードは極めて特殊であり、多くのご夫婦にとっては再現性のない事例かもしれません。

    しかし、ステージ4の段階に来てしまうと、離婚の危機を回避することがいかに困難かということは、ご理解いただけたかと思います。

    そうなる前に、ステージ1以前の段階から、あなたが、奥さんに寄り添い続け、熟年離婚の危機を回避していただくことを願ってやみません。

    最後までお読みいただき、ありがとうございます。

    この記事を書いた人の情報
    obara
    小原恒之(おばら・ちかゆき)

    弁護士法人リーガルスピリット代表弁護士
    合同会社リーガルスピリット代表
    (グループホーム「ブライトサイド」運営)

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