保険営業マンにもできる!「コンサルティングビジネス」の始め方

今回のゲストは株式会社コンサルタントラボラトリー代表取締役・北野哲正さんです。北野さんは、コンサルタント、コーチ、プランナー、そしてファイナンシャルプランナーといった専門職に対するマーケティングコーチとして成功された方です。

一時代前のコンサルタントといえば、本を出して、講演会をやって、あとは企業と高額な顧問契約を結ぶ……といった成功イメージですが、今のコンサルタントの活動は様変わりしています。メルマガ、Facebookといった独自メディアを持ち、独自に集客ができちゃう。著名な先生よりもむしろ「手の届く存在」的なコンサルタントのほうが人気を獲得でき、人を集め、売上が上がる……そんな時代になってきました。そして、そういった独自メディアを使った集客に非常に得意なのが、この北野さんなのです。

この北野さん、非常に面白いご経歴で。大阪で起業して雑貨商材を扱ったんですけども。ところがあえなく 1 年で撃沈して。年末、家財道具を車に積んで、逃げるようにして故郷の高松に帰ったというご経験の持ち主です。その後、地元高松でリクルート、あのリクルートに入って、そこでコピーライターとして頭角を現していった。その時はメッチャメチャ働いて、全リクルート社員の内、全国で 2 番目の残業数だったそうですよ。その後コーチとして独立されて、今のようにコンサルタントのコンサルタントとしてご成功されたという方です。

北野哲正氏プロフィール

・株式会社コンサルタントラボラトリー 代表取締役
・『一般社団法人日本マーケティングコーチ協会』代表理事
・株式会社アントレラボラトリー 代表取締役
・株式会社リアルネット 取締役
慶応義塾大学経済学部卒業。(株)ワコール、 (株)リクルートを経て、コピーライターとして独立。2006年8月、マーケティング&コーチングの専門会社「パレードM&C」を設立。2009年1月、東京・六本木に東京オフィス開設。コーチ、コンサルタント、セラピスト、セミナー講師、カウンセラー、士業、整体師などの“コンサルタント型、サロン型ビジネス”においての、独立・起業、集客、ブランディングの支援に特化した活動を行っている。2013年10月より、社名を「株式会社コンサルタントラボラトリー」に変更し、五反田へオフィスを移転。また、2013年7月より、株式会社リアルネットの取締役にも就任。現在、3社の代表取締役と2社の取締役、3つの一般社団法人の理事を務める。

■実績
・2010年6月、コーチ、コンサルタントのための会員制コミュニティ「コンサルタント・ラボラトリー」を発足。月額9,800円の会員制サービスに、24時間で430名が申し込む。現在も継続中で、コーチ、コンサルタントの有料会員制コミュニティとしては日本最大級の組織になっています。

・2011年8月、『7つの起業・副業法』では、2週間で22,000名の参加者を集め、その後の「4ヶ月間で全くのゼロからコンサルタントとして起業してファーストキャッシュを得る」という有料オンライン起業塾には、3日間で420名・6000万円以上の申し込みが入り、成功事例が続出しました。

・2012年10月、『一般社団法人日本マーケティングコーチ協会』を設立。35時間で200名、講座金額にして1億4600万円を越える協会メンバーの申込みがあり、現在もライフワークとして、「マーケティングコーチ」の育成に力を注いでいます。

・2013年2月、『一般社団法人日本スマートフォンマーケティング協会』を設立し、「スマートフォンコンサルタント養成講座」の第1期~第3期までを運営し、400名を越えるスマホコンサルタントを輩出しました。

・2015年4月、「一般社団法人スピリチュアルアントレアカデミー」を設立し、新たな領域として「スピリチュアル起業家」の養成をスタートさせました。

■著書
「ゼロ起業」~あなたの経験・知識をお金に換えるノウハウ~
出版社:実業之日本社
2014年7月にリリースされ、半年間で5刷となる。韓国・台湾でも翻訳本が出版されています。

「コンサルタントラボラトリー」

大坪 社名が「コンサルタントラボラトリー」ということですが……。

北野 はい。「コンサルタントの実験室」ということになりますね。私自身は元々はコピーライターをやっていて、そこからコーチングの世界に入り、今はコンサル業をやっています。ジャンルは結構かなり絞り込んでいて、同業のコーチとかコンサルとかセラピスト、士業……最近は整体とかそういった方も多いです。そういった、自分のノウハウをお客様に提供するというようないわゆる「コンサル型ビジネス」の独立起業集客の支援を、2005年~2006年くらいからずっとやっています。

大坪 なるほど。今はそういうことをやっている方は結構多いでしょうが、その元祖、草分け的存在ですね。では、今に至った経緯をおうかがいしたいんですが。大学の頃あたりから……。

北野 大学は慶應大学の経済学部でした。でも元々は高校生の頃から「やがては起業するぞ」という思いがあったんですよ。だから「こういうことをやるんだったらこの大学がいい」みたいなことを考えていて……。と

大坪 どうして独立志向があったと思いますか?

北野 地元は香川県で、父親が公務員で警察官だったんですよ。で、「とにかく公務員が一番だ」みたいな考えで……その反発はあったと思いますね。

大坪 当時「起業」っていう言葉自体あまり一般的ではなかったかもしれないけど。

北野「独立」っていう感じのほうが強かったですね。

「人生で一番働いた1年間」がもたらした「独立」

北野 僕は「DC ブランド世代」で、大学時代も洋服、ファッションが好きだったんで、アパレルに就職しようかなって思ったんです。

大坪 それは今から思うとどんな時代でした?

北野 新卒で就職したアパレル会社の営業はきつかったですね。最初東京で、その後大阪に転勤になりましたね。営業なんでノルマもあるし、結構ハードだなみたいな感じで。「ああ、このままじゃあ独立なんかできない」みたいな感じでしたよね。でも当時、雑貨販売みたいなことをやっていた取引先の社長と結構仲良くて、「北野くん、独立したいんだったら、こういう商品あるんだけど、ちょっと売ってみない?」って言ってきたんですよ。それで、「面白そうだな」 と思って、「じゃあやります」って言って、もう勢いで会社辞めたみたいな。かなりやばいですよ、もう。

大坪 雑貨ってどんなものですか?

北野 アパレル雑貨みたいなものですね。アクセサリーっぽいものとか、ちょっとしたグッズみたいなもの。もう在庫抱えて、全然ダメです。

大坪 軽率でしたね(笑)

北野 もう、超軽率ですよ。全然売れない。結局退職金なくなり、クレジットカードで借金もして……もうアホですね。

大坪 なんかやばい感じですね。(笑)で、逃げるように四国に帰った。そこで何を始めたんですか?

北野 アルバイトです。リクルートが募集していたんで。でね、これが結構運命の分かれ道になるんです。僕は、これ本当に支社長がその時、採用してくれた支社長は、僕を営業に行かせる予定だったんですよ、営業経験者ですから。でも僕はもう営業はしたくなかったんです。そうしたら、たまたま制作部門に欠員が出たんですよ。1 人急に辞めることになった。なので、営業って決まってたんだけど、「北野くん、じゃあ、制作に回ってくれ」って言われて……そこで制作ディレクターをやって、コピーライターになったっていう感じです。そこでは会社案内とかパンフレットみたいなのを、まあめちゃくちゃ大量にやりましたね。

大坪 なるほど。

北野 もう僕ね、その28歳の時の 1 年間が「人生で一番働いた時期だ」っていう実感があります。その時の自信が今、ベースにありますよ。「あんだけ頑張ったんだから俺は大丈夫」みたいなね。

大坪 へー。やっぱり人生のどこかでめちゃめちゃ働く時期がありますね。

北野 あの 1 年はね、15 万ぐらいの給料の時だったのにい、もう30 万ぐらい本を自腹で買って勉強したし。仕事でも、クオリティは高いけど要求も厳しい大阪とか東京のデザイナーのところまでわざわざ行って、しごかれながら勉強した感じです。。

大坪 で、そこでその後独立されるんですよね? 場所は高松で独立された?

北野 そうですね、高松ですね。コピーライターをやって、30 で独立したっていう感じですね。リクルートでは営業マンからの信頼も厚かったんです。「北野さんに頼めばいいのつくってくれる」みたいな。僕も当時、「でかい仕事は全部俺に回せ」みたいな感じでやっていたので、それで人脈もできた。広告業界の交流会にも参加していて、結構下準備はしていました。独立した途端に仕事が結構バンときて、もう順調、順調って感じでしたね。

稼いでいたのに「会社解散」。そしてコーチングとの出会い

大坪 でもそこから、そのままではなかったということは、その後何かつまずきがあったってことでしょう?

北野 はい、30歳で独立して、 40過ぎまでの10年間は結構いいかたちで……。

大坪 高松のデザイン事務所の社長という感じで、ブイブイ言わせてたわけですね?

北野 コピーラインティングと広告制作の制作会社って感じですかね。で、かなりブイブイブイブイですね。

大坪 そこから先の転機は何だったんですか?

北野 まず広告業界って、景気が上がったり下がったりがすごいんですよ。それまでメインクライアントで1000万ぐらい出していたところが、翌年はゼロとかね。あとやっぱり、僕は10 年間ぐらい、本当に仕事を断るのが恐くて……。たとえば金曜日に代理店から電話がかかってきて「北野さん打ち合わせできる?」「ああ、できますよ」って言って打ち合わせをしたら、「じゃあ、月曜までに上げてもらえますか?」って……。もうね、土日がないんですよ。スタッフはやっぱり僕とはちょっとクオリティが違うので、だから自分でやっちゃう。

大坪 なるほど、なるほど。

北野 子どもの運動会とかも 1 回しか行ってないですよ。僕土日も基本的にずーっと仕事してて。海外旅行も国内旅行も10 年間行かず、みたいな。

大坪 よくわかります。僕も保険営業でしたけど、土日にアポが来たら、絶対断りませんもん。「ああ、喜んで」 って行きますもん。自営業はそうです。

北野 だから年収は2000万 や3000万あっても、ずーっと働いてる感じ。ある時なんかは、骨折していたんだけど、それでも仕事断れないから、ギブスして、オートマの車を借りて取材に行ったりとかしてました。

大坪 なるほど。

北野 それでスタッフが辞めたり、僕の右腕だった人間が仕事持って独立したりで……「もうだめだ」と思って、会社は解散しました。

大坪 もう断念したって感じ?

北野 要するに、借金が毎月増える感じだったんです。だからこれ以上やってもだめだと思って、もう早いうちに手を打ったということです。だから社員も、就職先斡旋したしね。

大坪 なるほど、なるほど。

北野 で、2005 年 10 月に、「もうこのままじゃだめだ」って時に出会ったのがコーチング。「これだ!」と思いましたね。それしかなかったって感じです。

「コーチにマーケティングを教える」というポジション

大坪 経営者って人を使う立場だから、コーチングに興味を持つのはわかるんですが……ビジネスとしたら、コーチングって「1 時間いくら」というビジネスじゃないですか。

北野 でもやっぱり僕もコピーライターだったので「時間の切り売り型」ビジネスなんですよね。だから、基本的にそういうビジネスの体質だったんですよ、根が。

大坪 ああ、「俺が頑張ればいいや」という……。

北野 「俺が頑張って、スキルでお金をもらう」という。

大坪 なるほど、なるほど。

北野 コピーライターで広告の提案をした時に、お客さんの先にコンサルがいる時あるんですよね。で、お客さんに「僕はいいと思うんだけど、うちのコンサルの先生がなんて言うかな」みたいなことを言われる。結局マーケティングのコンサルって広告の提案とかもあるので、結構バッティングするんですよね。コンサルには結構そういう苦い思いがあったけど、どこかで憧れてるんですよね。

大坪   わかる、わかるー。

北野 で、コーチングをやった時に、「あ、これ、俺にもコンサルができるんじゃないか」と思ったんです。

大坪 その入り口だったわけですね。

北野 うん、「コピーライティングとコーチングを合わせると、マーケティングのコンサルができる」みたいな発想が、ぱぱっと浮かんだんです。で、借金して、コーチングの講座に入った。

大坪 そこからコーチングを種にどうやってビジネスを興したんですか?

北野 考えてみたら、それが 2005 年ですよね。10 年で、0 から 10 億まできたんですよね、そう考えると。

大坪 そうですよね。じゃあ、その 10 年間、1 番のターニングポイントはなんでした?「あれがなかったら今はない」って。

北野  あえて言うと、やっぱり「ポジショニング」っていうことになると思うんです。やっぱり僕はコピーライターをやってたので、なんでもできる……要するにコピーライターって、結局「こういうものをどう売るか」って考える仕事、 商品をどう見せるかなんですよね。だから、見せ方を結構意識します。結局「単なるコーチじゃだめだ」って思っていて。専門分野で、「ここの分野に強いコーチング」じゃないと、たぶん勝負できないと思ったんですね。で、ずっと考えて、見つけたのが「マーケティングコーチ」。マーケティング分野のコンサルはいたんだけども、コーチのマーケティングができる人はね、 当時いなかったんですよね。

大坪 なるほど。

北野 で、そこに入ったって感じ。それは大きかったですよね。あと、そうして結構クライアントが取れていたので、周りのコーチから「北野さん、どうやってクライアント取るの?」って言われたり。僕、初セミナーは 2006 年……コーチングを始めてから 1 年後にやったんですけど、「コーチのためのマーケティングセミナー」っていうのをやったんです。当時ないんですよ、コーチ向けというのが一切。僕は周りから言われたので「じゃあやってみようか」ってことでやったら、結構集まってくれて。それで「コーチにマーケティングを教えるっていうのが一番いいな」と思って、そこから今に至る……って感じですね。

大坪 でも、コーチとして独立してるケースってそう多くないでしょう? サラリーマンコーチもきっと少なくない。ということは、マーケットは小さいじゃないですか。そんな小さいマーケット専門でやろうというのは、大胆な決断ですね。

北野 だから周りからは、「そんなニッチなとこやってどうするの?」って言われたんですよ。でもね、やっぱり「ニッチから入る」っていうのは鉄則だと思ってたんですね。で、結局何が起こったかというと、コーチで上手くいったんですよ。だから「コーチング業界でマーケティングと言えば北野」みたいなのができたんです。そうすると「コーチにできるんだったら、コンサルの俺にもやってくれ」みたいに、似た業種が広がってきて……。

大坪 なるほど、なるほど。

北野 たぶんね、2 年後ぐらいには実はセラピストが 1番多かったんですよ、実は。だから、コーチもいける、コンサルもいける、セラピスト、士業、整体……今は要するにコンサル型的なものはもう全部網羅っていう感じです。

大坪 なるほどね。ニッチでまず成功して 1 つの型をつくって、横展開するっていうかたちですか。

「手の届くコンサル」のほうがいい

北野 コーチ、コンサルの分野って、そんなに大きくはないですよね。でも、「コーチ、コンサルだったら北野さんだ」みたいになると、たとえばネットビジネスで、コンサル向けに何かやりたい人は、「組まないか?」ってきますよね。「コーチ、コンサルでなんかちょっとビジネスを仕掛けるんだったら、北野さんと組んだらいいよ」っていうふうになるから、いろんなジョイントの話がきて、どんどんリストも増えるし、どんどん自分のあれも広がっていくっていうことですね。

大坪 なるほど。今リストが増えるっていうお話をされましたけども。北野さんのスタイルとしては、基本的にはリアルに営業するというようりも、むしろオンライン、ネットで……。

北野 オンラインです。最初はリアルでやってましたけど、途中から完全にネットに切り換えて。もうネットですね、ほぼすべて。

大坪 これは僕の見立てですけど、僕が社会に出た 1988 年頃のコンサルタントといえば、船井幸雄先生とか、一倉定先生とか、あと渥美俊一先生かな? チェーンストア理論の。そんな感じで、大先生が本を当然出しているし、大権威として講演を行って、で、顧問契約をもらうみたいなたイメージがあって……。ところが今、北野さんがされているコンサルタントって、全くイメージが違いますよね。ビジネスモデル自体が違う。

北野 そうですね。要するに知識差ビジネスなので、そんな大先生じゃなくてもいい。大先生にはお願いしづらいので。「ちょっと自分より前に行ってるコンサルとかに教わりたい」みたいな、そういう土壌もあるわけですね。 別に講演とか出版とかをしなくても、インターネットを使えば普通に集客できるし……という感じで。環境はもう全く変わってますね。

大坪 手の届くコンサルと言うか……。

北野 そうそうそう。むしろそちらの方が求められてる感じですね。

「仕組み化」は自身のラットレース時代へのアンチテーゼ

大坪 北野さんは共著で『ゼロ起業』(吉江勝/北野哲正 著 実業之日本社刊)というご本を出されていますが、この本のコンセプトがまさにそれですよね。「個人個人の経験とか知識をお金に換えるノウハウ」という。これすごく面白いし、いろんな人に希望を与えると思うんですよね。今、当然ながら会社が一生涯面倒を見てくれるなんて神話を信じてる人はほぼいないし、じゃあ、コンサルビジネスという新しい、全く新しい業態になったビジネスを、更にそれを自動化するというか、仕組み化するというコンセプトでやってらっしゃる。

北野 そうですね。ゼロからコンサルコーチになったゼロベースのゼロ起業組もいれば、もっと次のステージにいきたい人達もたくさんいる中で。やっぱりみんな限界がある。年収1000万とか 3000万あたりで頭打ちになるわけですよね。結局、コンサル業って完全に労働集約型で、時間の切り売り型でどうしても限界がくる。ただ、そこを超えて、もっと本当に、経済的自由、時間的自由を得るために本当にパッションを持って、やり甲斐を持ってコンサルをして欲しい。で、ライフスタイル的にも魅力的で、本当にやり甲斐を持って、好きでやってるっていうか……生活の基盤はもう他にあって「自動的に収益が上がってる」みたいなのが理想だなと僕は思ったんです。

大坪 なるほど、なるほど。

北野 自分自身がもう実際そういう形になってきて、「北野さんみたいにやりたいな」って言う人が周りにきたので……っていうところはありますね。やっぱりみんなに、コンサル業でありながら、ビジネスオーナーになるっていうスタイルを提案するのが、今一番ワクワクするわけです。

大坪 今お話しをうかがっていて気がつきましたけど。高松時代の、自営業時代の、追いまくられた〝ラットレース〟をしていた頃へのアンチテーゼですよね。

北野 それはありますね。

大坪 自分動かなくても済む部分を少しずつでもつくっていって、逆に「お金を稼ぐための仕事」じゃないというところで生きていこうよ、という感じですね。

北野 そうですね。コンサルでビジネスオーナーになるって、たぶんないじゃないですか。やっぱり新しい価値を提案したいので。コンサルでありながらオーナーになるという、そういう新しい価値観とか スタイルを提供することが面白いですからね。

大坪 〝ビジネスオーナー〟っていうと、イメージはロバート・キヨサキとかね。不動産のオーナー、事業会社のオーナーとかいうイメージなんですけども、コンサルタントって、まさに「職人の 1 つの象徴」みたいな仕事だから。その職人=本人がいないと価値を生み出さないはずのコンサルタントが、「ビジネスオーナーになる?」というところですよね。

北野 そうです。たとえば保険営業の方も、どちらかというと、ちょっと労働集約型なところがあるじゃないですか。

大坪 まさに。

北野 僕は保険営業、FP の方も結構クライアントでいるんですけど、そういう仕事しながら、コンサルティングはできるはずなんですよね。スキルはあるし、能力はあるから。で、コンサルになって、更にビジネスオーナーなるっていう道を、ぜひみんな目指して欲しいなって思いますけどね。

見込客を増やし続ける2つの方法

大坪 そうですね。じゃあいよいよ最後になってくるんですけど。じゃあ「オーナー
コンサル」になるためには何をしたらいい? どんな仕組み、どんな仕掛けをつくればいいか?

北野 まずは、見込客が常に増え続ける仕組みですよね。これがあればもう、半分出来上がったも同然なんですけど。

大坪 でもみんなそれに苦労するわけじゃないですか。特に保険営業なんかは、見込客探しに 8 割のエネルギーを使いますよね。そこをどう、仕組み化すれば……。

北野 僕の場合だったら、インターネットを使うので、「メールマガジン」を発行して、それの読者をどんどん増やしていく仕組みをつくります。

大坪 なるほど。

北野 もう 1 つは「コミュニティ」ですね。自分のクライアントさんと〝緩く繋がる仕組み〟をつくるんです。そこが盛り上がってくると、そこからまた紹介が生まれてきたりとか、そのコミュニティの参加者とビジネスをやるとか。

大坪 そのコミュニティっていうのは、ガリガリ営業する先ではないんですか?

北野 違いますね。僕の情報を、とにかく定期的に届けたりとか、交流会をやったりとか。だから、僕も皆さんをマッチングしたりとか、皆さんに紹介をしたりして、役に立ったことを何かゆるーくやってると、なんとなくゆるく返ってくるという感じ。これからの時代、コミュニティは絶対必要なんですよね。

大坪 そうですよね。保険業界でも、実は成功している人はそういったことをしている。コンプライアンス、つまり業法があるから、メルマガをばーっと出すわけにはなかなかいかないんですけど。たとえばちゃんと会社に届け出たうえでニュースレターを出したり……。保険のことを書かなければニュースレターも許されたりするので、それを出し続けて、コミュニティをつくって、そこにはガリガリ売り込んだりしない……でもチャンスとか紹介が上がってくる……というパターンの人が大部分ですね、成功した人は。

北野 そうですね。そういった仕組みが必要です。あとは、やっぱり、複数の収入の柱。僕だったら、超高額のコンサルティングもあれば、講座もあるし、会員制で毎月入ってくる……というようなのもあるし。あと、ツールを使ってもらうようなビジネスもある。あとは、自分のクライアントさんにサービスを紹介してキャッシュバックをもらうとか。いろんなパターンを持ってるんです。そういったものを複数つくらないと、どれかがコケる時もあるし、上手くいかない時もある。あと、放っておいても(収入が)入ってくるようなものがいくつかあると、もう精神的にめっちゃ楽ってことですよね。

大坪 今のお話では、提供する商品は基本的に「情報」?

北野 情報が多いですけれど、物みたいなのもあります。

大坪 なるほど。たとえば保険もそうですけど、不動産業をやってる、不動産の賃貸業やってるとか売買やってる……あるいはクリニックやってるとか、そういう人達でも、そのノウハウは転用できますか?

北野 できますよ、当然。たとえば「自分の経営ノウハウみたいなことを同業者に販売する」とかが一番やりやすい感じですよね。

大坪 なるほど。

北野 たとえば今、普通にサービスを提供しているんだったら、それを「継続型」にできないか、とかね。そういう視点でものを見ていく。すごく簡単な例でいうと「蕎麦屋やってます、お客さんが食べに来てくれます」という現状を、「毎月 1 回、〝変わり蕎麦〟を届けます」みたいな……先にお金もらって定期的に届けるとかね。何かいろいろあるわけですね、やり方は。そういうのを組み合わせていくと、ちょっとビジネスが面白くなるかな、という感じですよね。

日本独自の美意識を輸出

大坪 じゃあ最後におうかがいしたいんですけど、今、オーナーコンサルとしてやってらっしゃいますけど、これから目指すところって、どんなところですか?

北野 目指すところは……自分自身がオーナーコンサルではあるんですけど。もっと本当の意味でのオーナーコンサルになること。

大坪 ほう。

北野 ストック型の、定期的に何もしなくても入っている収入を増やして、自分自身はやっぱり海外に行きたいんです。マーケティングといえばやはりアメリカですよね。

大坪 そうですね。

北野 マーケティングに、禅とかヨガとかを組み合わせたようなものを、向こうに持っていきたいんです。だから年の1/3 から半分ぐらいは海外に行って、向こうのいいコンテンツを引っ張ってきて日本に紹介したりとかね。で、こっちのいいものを持っていくとか。基本的にはコンテンツとかコンサルビジネスをやっていきたいというのが強いですね。

大坪 アメリカからきたマーケティングという技術に、日本独自の価値観とか、美意識とか様式を乗せて輸出するっていうことですか?

北野 そうですね。そういうのはすごくやりたいですね。それを、収入のためにやるんじゃなくて、趣味でやれるようになれば理想的かなと。

大坪 なるほど。収入はストック型ビジネスが稼いでくれますもんね。

北野 稼いでくれる。他の部分が稼いで、こっちは本当に、ライフワーク的にやるっていうかね、そういうことができればいいかなと思いますね。

最後に

大坪 北野さんからは、コンサルタントのあり方、あるいはコンサルティングビジネスの立ち上げ方ということを学びました。コンサルタントは、なにも普通の人と圧倒的な経験差、知識差がなくていい。今の時代というのは、いろんな分野で、学びたい人ってとても多いんですよね。だから意外なものがコンサルタントビジネスとしてヒットしたりします。
今、いろいろな分野のいろいろな教材が、ヒットする可能性を秘めています。なぜかというと、そのノウハウ、その僅かな経験差を知りたい人は、ネットを使って全国から情報をから引っ張ってくることができるわけです。そういう素晴らしい時代に僕らは生きてるわけですよね。

あなたは、保険だったり、あるいは別の言い方をすればそのビジネスだとか販売の専門家ですよね。趣味系よりもよりお金になりやすい分野の専門を持っているわけです。ぜひご自身のビジネス、ご自身の専門知識を、コンサルティング化して、ビジネスをより伸ばすということにチャレンジしていただきたいと思います。

大坪 勇二

この記事を書いた人

【仕事のプロを育てるプロ】 コンテンツプロデューサー。人脈術と交渉術の専門家。

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