国内生命保険会社でシェアトップのところにいました。期間は一年ちょっとです。勤務体系は9時から17時で、休日は土日祝日、給料は20万円あったかな手取りでという感じです。何もなくての話ですが、契約が取れるようになると少しずつ歩合も付きますが、最高月収は50万円でした。残業なんてどれだけしてももらえません。契約取ってなんぼですから。一応会社に出社しないといけないので定時はありますが、朝礼と終礼のためだけに会社に顔を出して、終わればすぐお客さんのところへ一直線です。ただ、営業マンは業種は異なっても行動は基本変わらないと思うので、そこに違和感はありませんでした。自分も生きていかなければいけませんから。
私が保険営業マンになったきっかけは、会社を辞めていた時に、たまたま来た保険外交員の人との出会いでした。初めは話半分ぐらいの感じで話を聞いていたんですが、仕事の話になって、今仕事探しているんですということからお誘いが始まりました。保険なんて難しすぎて自分なんかに扱えないよなと思っていましたし、今まで飲食店しか経験のなかった僕に外を回っての営業なんて全くピンと来ませんでしたのでお断りをしていたんですが、徐々に熱意や一緒に頑張りましょう的なものが伝わって来て少しずつ心が変わって来ました。せっかくやるならいっちょ頑張ってみるかと決意して転職することにしました。
私が在籍していた会社は営業所管轄の地域をさらに細かくエリア分けして担当エリアを決められるシステムでした。それはあくまでも個人宅の話で、それとは別に職域が与えられてそれを同時並行させて動くようにしていました。入社当時は自分のお客さんなど当然いませんし、退職した人のところを引き継ぐ感じだったので、前任者が退職したので今後は私が担当しますよというようにして一軒一軒回っていました。結果基本は飛び込みですが。ただ、男で私は体も大きいので、いくら会社の社章をジェケットにつけていても迫力が出てしまい、世の奥様達にはドアを開けてもらうことは少なかったです。それを打破するために当時の支部長から法人にシフトしてみたらどうだというアドバイスをもらい、なるほど男でも法人が相手ならまだ、受け入れてくれるところも多いかもと思いシフトすることになりました。しかし、新人の分際で法人なんてそれはそれで大変ですし、経費がまずかかります。支部長から毎月活動支援費を出すからということで頑張っていました。
ただ、ここで落とし穴にはまります。活動支援費を会社の事務員の人に申請したら、これなんですか?という返事で支部長から許可もらってますと返してもそんなことできませんよと軽く突っぱねられる始末でした。支部長もそんなこと言った覚えないという返事。これには参りました。中小企業の社長さんが多かったので、飲食やゴルフなどの接待を当時はしていたのでそのお金も自分持ちになってしまい、結局借金をせざるを得なくなりました。この段階で会社の教育部(入社から2年間は教育部管轄で支社にも相談窓口がありました)に相談していればよかったのですが、もうその時は時すでに遅しでした。
結局私はどうすることもできず、借金も膨れ上がり何もできずになってしまいました。法人の高額契約をもらっても結局経費でチャラ、いやそれ以上の出費で生活なんて成り立ちませんでした。今は離れて随分時間が経過していますからやり方も変わって来ているかもしれませんが、自分の支部の数字を上げるためなら手段も選ばずという上司もいます。これに対する理不尽やパワハラに立ち向かうのは難しいかもしれませんが、入社してそんなに時間が経っていなければ、しかるべき社内の相談窓口に駆け込むべきです。私は最終的にはその教育部の上の方々に本当にいろんなところで助けてもらいました。新人の全国ランキングで一度だけですが、2位を取れたことも支部長ではなく、教育部の人たちが自分のことのように喜んでくれたことが唯一の救いでした。本当に支えてくれる人には恩返ししなければいけないと思います。そして、パワハラには屈しないように頑張りましょう!