名刺を仕舞ってからお客様の名前が吹っ飛び…飛び込み営業の失敗談。

営業マンの体験談

名刺を仕舞ってからお客様の名前が吹っ飛び…飛び込み営業の失敗談。


営業、営業マン、渉外担当者、外交等の言葉を聞くと、今でも若かりし頃の自分とオーバーラップして、次から次へと色んなことを思い出します。色濃く思い出すのは、大きな受注がもらえた成功体験よりも、断然きつかった、苦しかった、恥ずかしかったという辛い失敗体験です。失敗なんてしなくても、数字に追いかけられ、日々断られる経験を積み重ねてるのだから、充分辛いものですし…。

私が就職したのは22歳のときでした。当時特に特技やすぐに使える資格もなかった私は、知人のつてを使ってマナーのテキストやツールを販売する会社に就職しました。職種は営業です。
先輩から顧客担当を後輩に引き継ぐようなシステムは全然なく、自分の顧客はすべて自分で獲得するのが社の方針でした。
営業活動はテレアポでもいいし、飛び込み営業でもいいし、どこかから誰かを紹介してもらうという形でも良いとされていました。とにかく新規で自分の顧客となってくれるお客さまを自分で見つけることが、仕事のスタートでした。営業のロープレ研修を受け、私は自分がどんどん各社に商品を売り込み、社内で成績優秀者発表みたいなセレモニーで拍手を受けることを想像していました。現実は正反対、真逆も真逆だったわけですが…。
ただ、ここで書きたいのは売上げに苦しむ営業活動そのもののことではありません。

電話よりも飛び込み営業のスタイルの方が好きだった私は、視界に入ってくるビル入ってくるビルに臆することなく突撃訪問していました。足がすくまなかった点では恵まれた性格なのかも知れません。
でも、大企業の場合は受付で、小さな会社の場合はドアのそばの末席の社員から、決まってお断りをされ続けていると、会議室や応接室に入って以降のスキルが全然身につかないんです。そうしてある日、突然それはやってきたのです。

「いま、課長に伝えましたところ、お話を聞くと申しております。こちらへどうぞ…」そうです。応接室へ通される瞬間が遂に訪れたのです。焦りました。自分で訪問して面談がしたいとお願いしているのに、焦るのもおかしな話ですが、なにせ応接室に通していただいてからのスキルが身についていないのです。

もっと焦ったのは、応接室でしばらく「課長さま」を待っていたら、ドアのノックとともに3人も担当者らしき方々が入ってきたことです。3人相手の名刺交換ってどうやるんだっけ…。確か一番位の高い人から??そんなことを頭の中で一人でしゃべっていました。

ひとりは佐々木さま。ひとりは荻窪(おぎくぼ)さま。もうひとりが瓜生(うりう)さまでした。
佐々木という名前はすぐに馴染めましたが、あとのふたりが「えーっ、難しいな…」「うりが生まれる?そんな苗字あるんだ…」また頭の中でごちゃごちゃセリフが回りはじめます。
そして…完全に大切なスキルを忘れていたのです。いただいた名刺は、面談が終わるまでテーブルに並べておいても良いと習ったことをです。3人と名刺交換をして、そのまんま名刺入れにきちんと仕舞い込んでしまったのです。

面談が始まってすぐにそのことに気づきはしましたが、「まぁ大丈夫。苗字くらい覚えていられるから」と高をくくりました。ところが、3人からあれこれ質問を受け、知識がないなりに必死に答えているうちに、完全に苗字が吹っ飛びました。佐々木さんだけは辛うじて思い出せましたが、あとのふたりが全然さっぱり思い出せませんでした。苗字がわからなければ役職で「課長様」と呼ぶ方法もあるのですが、それもうろ覚えでした。

経験をもっと積んだベテランであれば、そんなに焦らず対処できたと思います。何食わぬ顔で、さらーっと涼し気にもう一度名刺入れを出し、そこから名刺を出すくらいのことはできると思います。あるいは、別に名前や役職で呼びかけなくても商談は進められると判断できたのかも知れません。
だけどその頃はとにかく経験がなかったので、名前で呼びかけることが大切!と思い込んでいました。

そして失敗してしまったのです。
うりうさまに向かって「うりきさま」、おぎくぼ様に向かっては「おぎのさま」、そしてあろうことかしっかり覚えていたはずの佐々木さまの名前が頭からきれいに削除されてしまいました。
先方は、商品の話どころではなくなり、「毎日あちこち回られてるんですか?」とか「1日どれくらい飛び込まれているんですか?」とか、私の営業生活をねぎらうような会話に切り替えられました。「あ、これなら答えられる!」とほっとしたものです。

その頃は残業なんてありませんでしたね。商談が商談になりませんから、社に戻ってやる作業がないのです。お給料は15万円スタートでした。歩合ではなく、きちんと基本給がありました。だから一円も売り上げが上がらなくても、お給料はいただいていました。土日も休んでいましたので、いろいろ考えてみますと、そんなに厳しい会社ではなかったのかも知れません。
でも、きついなぁと思っていました。とにかく足が痛くて痛くて、親指と小指に頻繁に魚の目が出て、削ったり、お医者さんに切ってもらったり、本当に泣きそうでした。
世の中で一番頑張っているのは絶対営業マンだ!と本気で思っていたくらいです。

その後、少しずつ応酬話法も身につけ、商品のこともしっかりと話せるようになり、少しずつですがまともな営業らしい営業マンになれたと思います。

あの頃…社内でも恥をたくさんかきました。めったにいない営業部長が、たまにデスクに戻ってくると、若い営業マンたちに今日の営業活動をひとりひとり聞いて、アドバイスをすることがあったのですが、そこでの部長のやり取りでも馬鹿な失敗をしています。
「で、この企業はどんな企業だったの?」「入口に花が飾ってあって、お金がありそうな感じでした!」
「何を扱う会社なの?」「さあ、なんでしょうか…」
「社員は大勢いそうなの?」「見た感じ、女性が全然いなかったです。まばらです!」

社内にいた同期にも先輩にも、私の馬鹿っぷりにはよく笑いが起こったものでした。
あれから随分時間が経ちました。厳しい営業現場で、最も私が得たものは、外回り営業がどれほど大変かを身に沁みてわかる人になれたということです。だから例えば、自宅の水回りが故障して、タウンページで業者さんに電話をして、かけつけてくれた営業マンの人には丁重に丁寧な態度で接します。中には、玄関先で靴下を履き替える営業の人なんかもいて、「ああ、きっと清潔さが大切だから履き替えるように、社内で叩き込まれてるんだな」と想像して、心の中で頑張れ頑張れってエールを送ります。
たくさんかいた汗と恥とが、あなたをきっとひとまわり大きな人間にしてくれるよって、本気でそう思います。