先輩の理不尽な態度、会社の妙な決まり事に不満が募り…営業マンの体験談。

営業マンの体験談

先輩の理不尽な態度、会社の妙な決まり事に不満が募り…営業マンの体験談。

大学を卒業して内定をもらっていた会社に就職、営業として配属されたのは福島県郡山市でした。それまで埼玉県を出たことが無かった私ですので、営業職として困ったのが土地勘。どっちに行けば何がある、というのが分からないので、ある程度慣れるまでに何度も迷ったり、営業先を行き過ぎたりしました。

その会社の営業スタイルは2人1組で回るスタイルで、我々新入社員には嫌でも先輩が付くようになっており、また、私と組んだ先輩というのが性格的に最悪なヤツ。「何で質問してこないんだよ、何か聞けよ」と言ってきたので質問すると、「知らねぇ、自分で考えろよ」という超がつくほど理不尽な人間でした。正直、営業所内の上司や先輩、果ては同期の人間ですら、「アイツはちょっと・・・」と一目置かれる存在だったので、ウンがある意の一言に尽きます。

そんな人間と一緒に回っても喋りたくなかった私は営業車内で無言を貫きました。まだ私も若く尖っていたのでこれが間違いだったのですが、嫌いでもムカついても、仕事は身近な人から教わらないと身に付かないと分かりました。

また、社会のことを何も知らないくせに「営業とはこういうふうに回るものだ」と勝手な想像をしていた私は、自分で現実とのギャップに苦しみ、またその勝手な営業姿勢が態度に出ていたようで、まだ研修中にも関わらず、あるスーパーの売り場のパートさん(昼間の時間帯の責任者)に、「話すときに目を合わせないやつは来なくていい!」と先輩経由でクレームが入り、そのスーパーは出入り禁止に。話すときは相手の目を見るという基本的な事ができなかった私に早速カミナリが落ち、先輩から怒られる始末。今思えば当然ですが。

また、違う日には別の得意先を訪問したときに、よく話をするそのスーパーの社長と談笑していました。話の流れの中で「俺はここで社長やりながら、こういう事もやってるんだ」といいながら、食品組合の理事の名刺を私に差し出してきました。私はこれを「見せてくれただけ」と思い込み、渡された名刺を手に取り「へぇ、すごいですねー」と相槌を打った後、そのまま「すみません、ありがとうございます」と言ってその名刺を返してしまいました。確かにその瞬間、社長の顔色が一瞬曇ったのが分かったのですが、自分としては(?)でしたが、昼食時に例の先輩から、「お前、さっき渡された名刺、突き返したろ?よくそんなことできるな。普通、あそこはもらう場面だぞ」と注意されました。自分としてはそういうふうに捉える事ができなかったので、見せてくれたものを返しただけ、という感覚でいましたが、社会人的にはそういうことだったらしいです。社会人を10年以上経験した今なら、そういう場面に遭遇したら、「これ、頂戴してもよろしいですか?」と一言言える能力は身に付いていますが、当時は社会のことは何も分からず、回りもまったく見えていなかったので、こうした生意気な態度が露骨に出てしまったのと思います。

極めつけは事故。ある得意先に行こうとした際、ほんの少し行き過ぎてしまったので「そのままバックして戻れ」と言われたので、言うとおりに車をバックさせました。後ろを十分に注意しなかった私がいけないのですが、少しハンドルを左に切った際に、電柱へドカン!営業車の左後ろをぶつけてしまい、物損事故を経験してしまいました。その後、営業所へ戻る際の先輩は、「あぁ~、やべぇよぉ~」「あっ!始末書書かなきゃいけねーんだ!どうしよう!」と、まるで悪いことがバレた時の子供のようにギャーギャー騒ぐ始末。「うるさい先輩だな」と思いましたが悪いのは私。後日行われた「事故反省会」では晒し首状態。
「そういう命令をした○○(先輩の名前)もいけないけど、ちゃんと後方確認しなかった△△(私の名前)が一番悪いと思います」
「道を分かっているとか、運転が慣れたとか調子に乗った言動がそういう結果を生み出したんだと思います」
などなど、血も涙も無い意見を散々言われ、全身から血の気が引いていくのが分かりました。会社のものを傷つけると、こんなにも痛い目に遭うんだ、という事を痛感させられた、ある意味「事件」でした。これにより、責任者である所長も上層部から注意されたみたいで、これには本当に申し訳ないと思いました。

この頃、自分自身でも「この会社、性に合ってないな」と感じ始めてきた初夏。思えば社内も不思議な現象が多々ありました。後輩は先輩よりも先に帰ってはいけない、新入社員はカラーのYシャツは着てはいけない、先輩が運転している最中は寝てはいけない、などなど。まるで子供の学校のようなしがらみが多数。これには私だけでなく、同期の仲間も苦しめられました。

とまぁ、数々のミスを犯してきた私。「俺は営業に、いや、この会社に向いていない」と判断し、入社半年の秋に、この会社を退社しました。事実、この会社で学んだことは「社会人として」という姿勢ではなく、
・世の中にはこの上ない理不尽な人がいるものだ
・交通事故は自爆でも色んな意味で痛いものだ
・日本の会社にはこんな中学校みたいな気持ち悪い上下関係の蔓延る会社があるんだ
ということでした。

しかしながら、そういったミスは今ではすごく戒めとなっており、その後の社会人生活に十分生かされました。