やっと信頼関係を築けた先生の注文を独断で代替品に…大学担当営業マンの失敗談。

営業マンの体験談

やっと信頼関係を築けた先生の注文を独断で代替品に…大学担当営業マンの失敗談。

私が営業をしていたのは2年間ほどでした。店舗では10年やっていたのですが、やはり、外に出て営業をするというのは、ある種の「孤立無援」状態です。この状態に耐え、また楽しめる人がやはり営業に向いている人なのでしょう。私自身、営業が嫌いになって退職したわけではありません。今でもいつでも営業職には戻れる自信もあります。その理由を書かせていただきます。

私が入社を決めたとき、就職した会社はJASDAQに上場した翌年。上場バブル真っ盛りでした。内定式が結婚式場貸し切りバンケット付きなど他社ではなく、本当に驚いた記憶があります。おそらく最初で最後の無駄遣いでしたでしょう。勢いに乗る会社で、自分も一旗揚げてやる!という気持ちで入社したことを今でも覚えています。始めは店舗でご来店されるお客様にアタックする「店舗営業」からスタート。この入社当時からなかなかに勤務時間は長かったですが、楽しかったのであっという間に一日が終わり、都合11時間ほど働いていてもあまり疲れていませんでした。そして時が過ぎ、今度は大学に営業をすることになりました。

ここからが本当の闘いの幕開けでした。基本スタイルは1人で国立大学1校全学部を担当する。というなんとワイルドな発想。47人いれば全国制覇だね。というぐらいのとても、とても軽いご指示でした。ですが、現場はそうではありません。営業・見積・発注・納期管理・納品・・・。そのすべてがたった一人なのです。先生の数は軽く1000人を超えます。そしてアタックの方法は「1000本ノック」です。片っ端からノックして突撃です。研究室、実験室、ゼミ室、倉庫、事務室、、扉があれば叩け!です。無理矢理開けたその先の先生やゼミ生、院生などに猛アタックです。呼んでもいない来訪者に警戒感はものすごいことになっています。極限状態の中、どうにか見積依頼や名刺を無理矢理取って退散し、次回以降はアポ取りと策をもって、ノックの合間を縫って訪問という流れです。始めは相当に苦労をするのですが、徐々に信頼関係ができると少しずつ楽に営業ができるようになってきます。そして、事件が起こります。

ある日、私はいつも「あんたに任せるよ」と言って下さる先生に珍しく型番指定の受注を受けていました。が、探しても探しても見つかりません。通常であれば、ここで先生に相談をするはずです。ですが、私はここで取り返しのつかないことをしてしまいます。いつも商品を任せていただいている事を勘違いしてしまっており、独断で代替商品を手配してしまいました。先生への連絡も「商品を手配いたしました」です。

納品当日、思い描いていたいつもの納品風景はそこにはなく、初めて見る表情の先生がそこにいました。型番指定だったのは、共同研究で共同研究者同士で出資しあって調達をしていたからでした。つまり、私は先生の顔に泥を塗ってしまっていたのです。「この先生との商売は終わったな。」と思っていましたが、それだけでは済みませんでした。その先生は学部長兼教務課長。つまり「学内教員の実務頂点」の方だったのです。どの先生にも「いや、お宅で買うと怒られるから」と出入業者取り消しはされずとも事実上の業者切り替えを受けてしまいました。

当然、会社からも「どうするの?」とかなりのパワープッシュを受けます。損害はおそらく億を超えます。利益額でも1000万は軽く飛んでいます。ですが、自分にできるのは「営業」しかありません。ですから、この分稼ぐしかない。そう考えた私は、「私学を狙って落とした分を取り返しつつ、信頼回復に通う」というプランを上層部にぶつけました。そのまま退職して逃げても良かったのですが、それは後輩に悪いと思い、許していただくまでは投げ出さないようにしました。一時的に休日も多く使い、労力も倍以上かかりましたが、何とかまた使っていただけるようになり、私学へのパイプも作れたことで、新しいスタッフの増員にも繋がりました。ここが引き際と思い、退職をしました。

今悩んでいる人がいると思います。営業は悩ましい職業ですが、自分がやったことが自分に還元される濃度が一番高い職業です。良くも悪くも自分次第。それはとても素敵です。どうか、暗くならず、自分のために、間接部門の人の家族を守るためにもまずは一度自分のできる限りのがむしゃらさで営業に挑んでみてください。考えるのはそれからがいいと思います。確認は怠らず、よろしくお願いいたします。