私のかつての仕事は、海外旅行の営業でした。
グアムやサイパンなどの海外旅行に行く方のパスポート申請やビザ取りのお手伝いをすることです。当時は制約があって、ツアコンの仕事は女性にさせてらえませんでした。お客様をツアーへ送り出すまでの旅行申請を円滑に済ませるという仕事でした。この旅行社へはちょうど空席があり人を探しているからという声かけで紹介されました。私は、英文科を出て、当時英語のコレポンを希望していましたが、その籍は今は埋まっているので、とりあえず営業職からやってもらいたいとのことでした。当面の営業職ということで従事しました。社員として入社、給料は大部昔のことなので30,000円位でした。何せ、海外旅行ということで団体客が出るときなどは、大量の書類を作らなければならないため残業も結構ありました。大抵は欧州の団体客です。当時はまだパソコンも普及していなかったため、英文タイプで打ち込みました。数が多いと書類だけで大量に打たなければならず協力しました。一日8時間労働で休日は日曜日のみ。土曜は半ドンでした。それでも当時は海外旅行は高値の花で多くの人の憧れでしたから、旅行社という仕事自体も憧れる人も多く、英文タイプ、英会話などの上達を目指していた私は、そこで何か楽しい仕事ができる気がして入社を希望したのです。
最初はビザ取りのために大使館まわりをさせられました。毎日都内にある大使館をまわりました。こうした手続きが分かってくると、あとは旅行先別に配属されます。ツアコンの花形は欧州部門へ配属です。私はグァム・サイパン島コースに配属されました。営業職だとビザ申請のためにお客様が東京まで出てこられない場合は、地方出張することも稀ではありません。かつて、前日に茨城県の水戸県庁まで朝早くから出かけるよう命令を受けたこともありました。朝早くに出かけても、列車の乗り継ぎなどがうまく合わないこともあります。水戸県庁はたしか後楽園の近くか敷地内にあって、駅から県庁まで間に合うはずでしたが、約束時間までにたどり着くまでに時間がかってしまったことがありました。場所は分かっているのに迷ってしまってなかなか見つけられず、若干遅刻をしてしまったことがありました。無論、営業職なのだから時間を守れなかったことに関しては、充分反省をしなければなりません。しかし、県庁の職員に頭ごなしに怒鳴られたのです。お客様には充分謝罪しお客様は理解してくれたのに、県庁の職員に異常とも思える剣幕で怒られ、かなり落ち込みました。男性社員などは、実際頬を叩かれた人もいると聞いています。いくら県庁の人でも、そこまでする権利があるのかと不快に思ったことでした。もっとも、一番電車で東京から水戸まで行くのに、無理ならば前日からホテルに宿泊させてくれる配慮をわが社もすべきだったのかもしれません。
また、私の実家の近くにクライアントがあった時には、来社前に同じ市にある会社へパスポートを届けて欲しいというイレギュラーな仕事も依頼されるケースもありました。こうした緊急の飛び入り営業も旅行社の仕事でした。そういう営業的仕事は突発的に前日急に言われることが多く、慌てるのです。見知らぬ会社や場所を訪れるのですから、それなりの段取りをとらなければなりませんし、絶対届けなければならないという緊張感も生まれます。それこそ、段取りが悪いために遅刻しては絶対にいけません。パスポートを届ける前に電話確認し、届ける旨の報告もしなくてはなりません。そうした営業活動も舞い込む仕事場でした。
私が一番忘れられないのは、顧客とのアポを一度完全に忘れた大ミスを犯した時のことです。
その頃、日頃の無理がたたって体調が悪くなっていました。3年前位に病気をしたことがあった後遺症だったのか、呼吸が苦しくなったりして仕事に頭が行きわたらなくなりました。実家が仕事場まで遠かったせいか、通勤時間も負担になっていたのかと思います。体調が悪く、その日は会社を休んだのですが、顧客とのパスポート申請の日であったことをすっかり忘れてしまっていたのです。顧客からの問い合わせ電話で私に確認の電話が会社から入って、私の大ミスが明るみになってしまい、会社からは手の空いた人が助っ人で駆けつけてくれて事なきを得ました。無論、上司には注意をされました。しかし、そう強い口調では言いませんでした。そこには、私が体調が悪く仕事を休んでいたためやむを得なかったと解釈してくれたのだろうと思いますが、逆に言えば失望させられたと言ってよかったのかもしれません。
その時は体調も悪く、頭が回らなかったのかもしれませんが、もっと早く当日のスケジュール把握がしっかりしていれば、そんなミスは犯さないですんだでしょう。しかし、実際の原因は体調の悪さだったので、やはり自分の体調管理と無理をすると必ず体調は崩すものなので、自分の体調は自己把握しておく大切さを、後輩の方々には伝えたいと思います。