私の就職した会社は、とにかく何でもかんでも販売する、売れないものは無いという総合商社でした。
不適切な表現なのですが、実際に上司から植え付けられたのです。「我が社で販売する事が出来ないのは、拳銃とクスリと女だけだから」と、身の毛も弥立つものでした。例えば、お客様から、竹ぼうきの注文を頂き、会社内に在庫をしていないものであれば、ホームセンターで竹ぼうきを買ってきて、全く利益無しで販売するという、信じ難い方針でした。
私が営業として配属されたのは、機材部と称して、本来ならば主に機械や、機械部品を扱う部署で、鉄工所を回るのですが、その営業内容は、本業とは全くかけ離れた物も必要とされ、信じ難いかも知れませんが、日用雑貨から家電製品、まさかの食品までも注文を受けてきなさいという物でした。ですから、機械部品では無く、家電製品のカタログなどは当然の事、ステーキ肉のカタログを営業車に積んでいるというマンガのような世界でした。
営業は、基本的に担当エリアを回る訳で、私の担当は120件ほど有りました。一か月で120件もの取引先を回る事などという事は、到底無理な話であり、正直言って退社するまで、一度も訪問できなかった先もたくさん有りました。
営業マンに成ったばかりのフレッシュマンだった私には、不本意であり、思い描いてた営業マンとは程遠い毎日でしたが、会社の方針は、とにかく売れるものはなんでも売るというものでしたので、さながら洗脳的な営業活動となりました。割り当てエリアの中でも、ほぼ、お得意様と呼ばれる取引先を中心に回る事となる訳ですが、会社がそうであれば、お客様もそうで有り、実際に仕事に必要な機械の部品などの方が、ついでのような感覚で、全く的外れな商品を要求してくるという感じでした。
直属の上司に、自分の正直な気持ちを伝えた事が有るのですが、下限は数百円から、せいぜい一万円程度の機械部品を売るよりも、むしろ家電製品などを販売した方が、売り上げに繋がるという驚愕的な思想でした。本当に必要な機械部品であれば、一生懸命に売り込まなくとも、電話注文で済むというのです。
私は、本当に洗脳されていくようで恐怖感さえ覚え始めました。思い描いた営業活動、汗を流して取引先へ通いつめ、努力の成果が実った時に喜びを感じるというものとは、あまりにもかけ離れた営業だったのですから。
でも、せっかく与えられた営業という職務を一生懸命に全うしたいという心情だけは持っていましたので、ひたすら取引先を回る日々でした。
そんなある日、お得意様から一つの課題を課せられました。
私に依頼してきたのは、なんと大型テレビだったのです。一瞬、開いた口が塞がりませんでした。社長の方から逆にカタログを手渡されたのです。社長はこう仰いました。「このテレビを買おうと思ってるんだけど、大型量販店よりも、一円でも安かったら買ってやるぞ」という事でした。
本来なら、高額な機械の注文を頂くべき社長から、まさかテレビの注文を頂くとは想像をはるかに超えるものでした。しかし、これも私に与えられた仕事なのですので、カタログを握りしめて、量販店に行って価格を調べました。さすがに安く、太刀打ちできないというのが率直な気持ちでした。
会社に戻り、上司に相談すると、他人事のように、「メーカーに自分で交渉してみろ」の一言でした。
言われるがままに、メーカーに掛け合ってみると、なんと!いとも簡単に、量販店よりも安く納品できる見積もりを出してくれたのです。ほとんど利益は有りませんが、販売価格としては、一円どころか、千円単位での低価格で納品出来たのです。
社長もとても喜んで下さり、数字上の売り上げには成りましたが、全くやり甲斐を覚えられないまま、その後すぐに辞表を提出した私です。
これ以上に洗脳されたら、自分がダメに成りそうで。